愚者になること。
私の知り合いに Aさんという人がいる。名前はとくに秘す。これから Aさんは愚者だという話をするからだ。Aさんの性格でもっとも顕著なのは、自己認識の低さだ。感受性の鈍さといってもいい。 自分を客観的に見ることができない、と言い換えてもいい。
Aさんと外出すると、何の変哲もない日常はあらゆる意味でスリリングになる。CDシャリシャリしながら満員電車に乗るのは当たり前。プラットホームに「でろー」っと痰を吐く。スーパーで買い物をしても、平気で割り込む。周りの人間がイヤな顔をしてもおかまいなし。まったく気にはならないらしい。もちろん私もその度に注意するのだが、蛙の面 にしょんべん。鉄壁の自己認識のなせる技か、はたまた脳味噌に重大なバグがあるのか、結局は歯を食いしばりながら「僕は悪くないんだ」となる。Aさんの口癖は「僕は議論に負けたことがない」だ。
愚者であることは、本人にとって不幸なことではない。寧ろ逆だ。愚者であることは、この社会では王様であることを意味する。
Aさんはいつでも定時に仕事を終える。まともな人間なら繁忙期には、少しは良心の呵責を覚えて 残業もするだろう。だが A さんに同僚の呻吟は聞こえない。その代わり常に5:30からの漫画の再放送を楽しみにしている。もちろん万が一Aさんに残業する気があったとしても、その気遣いはないはずだ。誰も頼まないだろうから。Aさんは仕事上もまるで無能なのだ。大切な仕事など頼めるはずがない。かくて A さんは愚者であるが故に、優雅な王様生活を満喫することになる。「この間の人間ドックでも完全な健康体と言われた」そうだ。
私は A さんが嫌いだ。友人とは書かず「知り合い」と書いたのはそのためだ。ところで、みなさんはどうですか?Aさん、好きですか?
もちろん嫌いですよね。それが普通です。ただね、こと「ことばの勉強」ということになると、愚者であることがある程度必要になってくるんですよ。ことばの勉強には「自分を客観的に見ない」「他人がどう思っているかを気にしない」、つまり Aさんのような感受性のなさがどうしても必要になってくる局面があるのです。私たち分別 のある大人が普通にもつ感受性が、邪魔になることが多々あるのです。
考えてもみてください。普段はヘーゲルとかカントの知的世界、三島の美文に酔いしれている人間が、ロビンソンの分解証明法を楽しんでいる人間が、経済のフォーフロントに生きている人間が、株式で巨大な資金を動かしている人間が、市会議員に立候補する人間が、電気配線なら人後に落ちない人間が、営業なら誰にも負けない人間が、青雲の志をもった優秀な学生が、英語を志した途端、
「はじめまして。わたしは犬が嫌いです」
になるんですよ。普通の神経なら馬鹿らしくてやってられません。
英文を読んでみましょうか。
Timeだ Newsweek だとそれが読めれば何やらとってもエラい、ということになっている雑誌も、所詮は週刊誌。大した知識がなくても読み飛ばせる内容です。「週刊新潮」読めたら、エラいですか?客観的に見れば何ら大事業を成し遂げたわけではないのです。最近の流行小説、そうたとえば Hannibal を読んでみましょう。
'For him (Dr. Lecter) the air was painted with scents as distinct and vivid as colors, and he could layer and feather them as though painting wet-on-wet. Here there was nothing of jail. Here the air was music. Here were pale tears of frankincense awaiting extraction, yellow bergamot, sandalwood, cinnamon and mimosa in concert, over the sustaining ground notes of genuine ambergris, civet, castor from the beaver, and essence of the musk deer. ... '
(Thomas Harris, Hannival, Dell)
こんな何気ない文でもイヤになるほど知らない単語が出てくるでしょう。「こんな文も気楽に読めないのか」、流行小説すら、辞書を片手に苦しまないと読めない自分。それを客観的に眺めてしまったら、英語の勉強などすぐにやめたくなりますよ。
街に出て英会話教室にでも行きましょうか。
会社なら自分の部下、悪くすると自分の子供みたいな兄ちゃんが教えていたりします。「ほら、思い切って言ってみよう」「がんばって」「え?わかんないんだけど。もう一度言ってみてごらん」。兄ちゃんに子供扱い。「さーてそれでは、ここに来るまでの道順を英語で言ってみようか」。アホクサ。
テストを受けてみましょうか。
「この人は今何をしているところですか。写真を見て答えなさい」「A: 歩いている B:お金を払っている C: 背中にできたおできを掻きむしろうとしている」..... 「嗚呼、なんで『かきむしる』なんて答えたんだああ」
力試しで海外に出てみましょう。
あなたのよくわからない英語に、洋服屋のお姉さんの顔がこわばってきます。あなたは「S サイズください。もう少し茶色がかったのが欲しいんですが」と言えないのです。「エス・エス」と言うあなた。ヒマな店員がこちらを見ています。店を出るとき後ろで店員が笑っているような気がします。バカにされているような気がします。楽しいはずの買い物だったのに。
------ことばを学ぶということ。それは私たち知識と正常な感覚をもった大人にとっては、耐え難い苦しみを意味します。「自分は何をやっているんだろ」「こんなバカ臭いこと、いつまでやらなきゃいけないんだろ」...
愚者になってください。
自分を情けなく思ったり、恥ずかしく思ったり、まわりの目線を気にしたり。自分を客観的に眺めるのを一時的にやめるように努力してください。それは学習の大きなブレーキなのです。A さんの無神経さを見習ってください。愚者になりきって、つまらない繰り返し学習を、「恥ずかしい」英会話を、辞書をひくのを、週刊誌を読むのを、無数に乗り越えるうちに、みなさんの英語はみなさんの知性に追いついてきます。そして愚者になりきることによって、近いうちに愚者にならずとも英語を使うことができるようになるのですよ。