J.S.
BACH, GOLDBERG VARIATIONS, PIANO: GLENN GOULD
感性は、年を取るに連れて失われて行くものではない。逆だ。感性とは知覚鋭敏なることではない。経験が醸すものだ。
もちろん、音楽的感性はたくさん音楽聴いて 、絵画的感性はたくさん展覧会に行って、などといった単純な「訓練」について言っているわけではない。
最近知り合ったクラシック友達が語ってくれた。「若いときは鳴り物入りのオーケストラでなくては聴いた気がしなかったが、最近はソロや室内楽に」傾倒しているそうだ。こうした嗜好の変遷はそれほど突飛なことではない。洗練された老人が簡素を愛することは、日常頻繁に目にするところである。昆虫より犬を。犬より盆栽を。盆栽より石を。動かない石を愛することが出来るのは、その後ろに万物の生々流転を垣間見る彼の知識・洞察の故である。彼は自らの世界を愛でているのだ。
名文の話をしよう。
「徒然草」がとてつもない名文として迫ってくる日がくる。経験によって醸された読み手の豊かな世界が行間を埋め、音符の間隙を埋め、何が語られなかったのか、何を言わずに済ませたのか、そしてそれは何故か、がわかるようになるからだ。壮大な音の伽藍が見えるようになるからだ。小林秀雄は正しいことを言っている。
名文は、鑑賞の対象として彼方に存在しているものではない。そのもの自体に価値があるわけでもない。読み手の世界を投げかけることによって美しい結晶を投げ帰す、生き生きとした関数である。価値は読み手の内にある。
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幼少の折りお裾持の小姓を務めた主人公清顕の心理描写 である。
春日宮妃は、お裾にまでふんだんに仏蘭西香水を染ませておいでだったから、その香りは古くさい麝香の香を圧した。お廊下の途中で、清顕がちょっとつまずいて、お裾はそのために、瞬間ではあったが、一方へ強く引かれた。妃殿下はかすかにお首をめぐらして、少しも咎める気持ちはないというしるしの、やさしい含み笑いを、失態を演じた少年のほうへお向けになった。
妃殿下は、それとわかるほどはっきりと振り向かれたのではなかった。まっすぐに背筋を立てたまま、片頬の端だけを心持ち向けられて、そこに微笑をちらと刻んでおみせになったのである。そのとき、屹立する白い頬のかたえに、ほのかに鬢の毛が流れ、切れ長のおん目のはじに、黒い一点のきらめく火のような微笑が点じられ、形のよいお鼻筋は、何事もなくそのかなたに清く秀でたるさま、......こういう妃殿下の、横顔とさえ云えぬ 角度の一瞬のお顔のひらめきが、何かの清い結晶の断面を、斜めに透かし見るときに、ほんの一刹那ゆらめいてみえる虹のように感じられた。
(「春の雪」、三島由紀夫、新潮社)
片頬に刻まれる表情。思い。
私の父は社会的にそれほど成功した人ではなかったが、他の多くの昭和一桁の人々同様、馬車馬のように働いてこの国の礎を築いた「戦士」の一人だ。私には父と遊んだ記憶がほとんどない。日曜日はほぼ寝て過ごし、そもそも日本にいないことも多かった。
家族で遊んだ記憶は1度きり。バドミントンのラケットを持って日曜日野原に出たことぐらいだ。調子づいた私が有刺鉄線で臑を酷く切り、それも1時間ほどで終わった。今でも苦い後悔を夢に見る。
仕事に関して家で話題に上ったことはほとんどない。それでも父の会社が傾いていることを知っていた私は、出勤時、建て売り住宅の三和土に降りた父の後ろ姿から、今何が起こっているかを感じ取っていた。「いってくるよ」と明るく言った父が踵を返したときの。後ろから薄く見える、頬。
債権者会議で吊し上げられる朝の、頬。
職探しをしに行く朝の、頬。
父が亡くなった後、2人の息子は、別々の意味で父を継いだ。兄はオーストラリア観光クルーズ会社を経営している。彼らしく壮大な「遊び」を作り出すはずだ。そう、遊びを知らなかった父を「継いだ」のだ。そして格別 の才能もない私は、休まないことで父を継いだ。

The difference to me。本当の意味で愛するものを失ったことのある人間には、この行のもつ重みが理解できるだろう。簡素に綴られたたった4単語が、返してくる経験の結晶を理解できるだろう。
山奥に住む(she dwelt among th' untrodden ways) 誰も振り返らないような女性。だが 作者にとっては、控え目でありながら(half-hidden from the eye) 清楚に輝く(a violet)女性であったのだ。ただの星ではない、唯一の光り輝く星(when only one is shining in the sky)であったのだ。作者だけがその価値を知り愛していたこの女性は、人知れず生き(she lived unknown)、人知れず死んでいった (few could know when Lucy cease to be)。そして...
The difference to me
愛する人間がいなくなった世界。色が、風がもつ異なる質感。居場所のなさ。違和感。すべてが凝縮されたこの一文を、イギリス人だけでなく多くの人々は宝とした。
昨今の名文流行り。英語にも名文と呼ばれるものは数多くあります。ですが、ここで紹介するのはやめておきましょう。「名文」は自分で探し出すものだからです。「みなさん」という世界と呼応しない「名文」は、みなさんにとっては単なるがらくたに過ぎないからです。
さあ、探し始めましょう。たくさん文章を読まねばなりませんよ。とびきりのヤツを見つけてください。そして声を出して読んでください(*1)。そして覚えるのです。そうした名文を100個ほど覚えることができたとしたら、いえ、見つけだすことができただけでも、みなさんの英語力は飛躍的に伸びるはず。でももしかすると、その前に「みなさん」が生まれ変わっているかもしれません。
パブで Wordsworth を諳(そら)んじてくれた女の子。元気かなぁ。そういえば彼女も Lucy って名前だったよなぁ。音読の話はまた今度。今夜は父の好きだった曲を聴いて寝ることにします。