第1回  暗渠(あんきょ)としての英文法

         今週は、外国語を学ぶための基本的な考え方を皆さんにお伝えします。 実際のレッスンは来週から始めることにしよう。
   誰しもがもつ心の中の暗渠。意識下に追放された思考の流れ。思い出したくない一連の出来事。細心の注意をもって蓋をしたはずの地下水脈。夏の湿気た布団の中で、蚊の羽音と共に蘇る淀んだ記憶 ---松林に埋めた死体、騙した友人の横顔、くすねた金で買った菓子の味---。無意識にディテールが埋められ増幅された異臭。禍々しい肌触り。あなたは祈るはずだ。そのまま立ち去ってくれることを。心を剔った後、彼は軽い足取りと共に立ち去るだろう。しかし決して消滅したわけではない。あなたは勝利したわけではないから。彼の背中には 'Ja Noch Einmal' の刻印が押されているから。

 さて本題に入ろう。「英文法」の話である。外国語学習に際して「文法」の有用性を否定する人間はまずいまい。「文法」とはことばの骨格であり、命である。「旅行便利手帳」で中国語を学んだ人なら誰でも知っている。付け焼き刃の「便利な表現」は、実践では何の役にも立たないということを。しかし現在多くの英語学習者は、極めて意識的に「文法」を無視しようとしている。いくつかの「便利な表現」「ネイティブがお勧めする辞書にのっていない表現」を丸暗記して安心しようとしている。検定試験の数値を真の実力だと思いこもうとしている。だが暗渠は依然としてそこにある。

「本当は何もワカッテナイノデハナカロウカ」

 私がこれまで追求してきた文法の「形」は、私の読者であれば先刻ご承知 のことであろうが、従来の学校文法・伝統文法とは一線を画するものである。 「目標」がちがうのではない。「目標」は、もちろん英語の骨格を浮き彫りにすることである。学習者が苦労なく英語の本質を理解できる道筋をつけることである。ただそこにいたるまでの「経路」がちがうのである。

   従来の英文法は、誤解を恐れずに言えば、「人間=機械」という「思想」の上に成り立っている。曰く「theの用法は 8つある」、曰く「現在完了の用法は主として4つある」、曰く「先行詞が人andモノの形の時は、関係代名詞は that である」。機械的な規則を暗記しそれを的確に使いこなせることが英語熟達のカギである、数ある文法書の多くは暗に主張しているはずだ。その内容において。その述べ方において。 この潮流はパブロフの犬と共に生まれた。ある条件下における機械的反射。それはある意味、人間精神に対する侮蔑であるばかりか、実用性を含めあらゆる意味で不毛である。

 この「英文法」は、誰もが暗渠の中に押し込めてしまった疑問に向き合うことから始まる。「なぜ現在完了は過去と使えないの」「なぜ the のあんな多くの使い方をネイティブは簡単にマスターできるの」....。そこから「ネイティブが感じるように文法を解説できたら...」という問題意識が設定される。
  数百ページ分の文法規則の羅列に相当する、複雑でしかも膨大な知識。それをネイティブは子供ですら(!) 易々と使いこなす。そこには恐るべき合理的なシステムが隠されているはずだ。乏しいインプットから爆発的な帰結を生み出す洗練されたシステムがなければ合点がいかぬ。

 私はそのシステムの「公理:文法現象を説明するためのエンジン」を「イメージ」とした。「the のイメージ」「現在完了のイメージ」「that のイメージ」... 。それらの「イメージ」を説明の論拠とすることによって、あるいはそれを先鋭化することによって、従来の規則による文法を「生きた」「ネイティブの頭の中にある」文法に改変しようとつとめてきた。その是非は私の著書によって判断してもらう他はない。が、手応えはあった。その反響の大きさを踏まえこのコラムでも同種の試みを行うことになろう。

 読者がこのコラムをどう評価するかはわからない。ただ、少なくとも読者は このコラムを通じ、自身の暗渠と向かいあうだろう。そしてそれがもはや暗渠で はないことに気づかれるはずだ。

           文法は豊饒な流れとなり、読者の英語力を育むだろう。

 

                                                                                ではまた来週。