Car_File 10. M3 の逝った日(後編)


人間「こりゃいかん」と思うときがある。

便器に携帯を落としたとき。
息子のカブトムシが尻の下で「ぱきぱき」と音を立てたとき。
試験問題を開いたら問題がアラビア語で書かれていたとき。

そして、

自分の車が庭先で「おにぎり」になっていたとき。

 

M3玄関先でおにぎりとなった M3 を一目見た私は「こりゃいかん」と呟いた。

道路に面した駐車スペースにあった車が花壇を乗り越え、隣家との境界になっている土留めコンクリート壁に激突している。コンクリートと後ろから衝突した車にサンドイッチにされたのだ。車体は弓なりになりボンネットは3分の1ほど寸詰まりになっている。犯人はすでに逃走したらしい。

「ふむ」

私はそうぅぅっと玄関を閉め、コーヒーを入れて新聞を読み始めた。

「こりゃいかん」に遭遇したとき、私は常に「なかったことにする」。
 アラビア語の試験問題は解けないし、カブトムシは生き返らない。失われたものについてウロたえても何も帰ってこないからだ。

「どうしたの?すごい音がしたけど」 家人が起きてきた。
「うん。M3 がね、逝っちゃったんだよ」
「どこに?」
「天国」

ひとしきり家人と世間話をしたあと、警察に電話をかけ現場検証と犯人捕縛のお願いをして、仕事に戻った。

数時間後、夜が明ける前に警察から電話があった。犯人出頭の連絡である。話の途中警察の方が「大西さんみたいに落ち着いている人もなかなかいませんね。飲酒運転でした。くやしいでしょうが十分お灸をすえておきますよ」。

 「ははは。いいんですよ。起こったことは仕方がありません。だけど...」 ここで私は大きく息を吸った。

 

「そいつは島流しにしておいてくださいね」

 

 

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「パパ。僕のカブトムシは?」
「ははは。旅立っていったよ。自由が好きなんだってさ」

息子は遠い目をした。
半年前に旅立ったM3を思って、私も遠い目をした。
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