021221 おんびんくそ

小さな時、祖母にいつも「おんびんくそ」と怒られていた。岡山弁で「臆病者」という意味らしい。朧気ながらそう類推できるのは、怪談物を観て便所に行けなくなった時にいつも言われていた言葉だからだ。四十路を迎えた今では、どんな怪談話も全然怖くない。なーにが「リング」だ。不思議だなー、どんなメカニズムでビデオテープが... ...と思っていたら、オチは「超能力どした」。これなら近所のおばさんの方がよっぽど怖い。犬を散歩させながら、平気で他人の家に小便をひっかけさせる。それを何とも思わない無神経が堪らなく怖い。人類?とさえ思う。

 ともあれ、私の性根は「おんびんくそ」だ。ちょこっと武道を囓ったのも、今から思えば「おばさん」のような無敵の精神力がないからだったような気もするし、大学院時代海外で最初に論文を発表したときも、ちょこっとアガっていたような気もする。でも最近は何百人を相手に話をしていても決してアガることはない。経験を積んだせいもあろうが、私自身はそれを訓練の賜物だと思っている。

 メンタルトレーニング。

 人一倍「おんびんくそ」な私は、人の「目」になりきる訓練を自分に課した。テレビで鳥羽一郎歌謡ショーを眺めている人は普通 、観客になって「かっこいーなー」とか「歌うまいなー」とか思って観ているはずだ。だが、私はちがう。 鳥羽一郎の「目」になったつもりで観ているのだ。

 数千人の観客がいる前でコブシを転がしているわたくし。ペンライトをふっているおばちゃんと時々目があってウインクなぞしているわたくし。オリンピックの開会式などは格好の訓練の舞台だ。何万人を相手に「君が代」を歌っている人を見ながらニコニコ笑っている私は、傍目から見たらかなり気味が悪いだろう。でも頭の中では... ... ... 至福以外の何物でもあるまい。

 かくして無敵状態になった私に、今試練が訪れている。50人程度では「燃えない」男になってしまったのだ。どことなく心に荒涼とした風が吹きすさんでいる。まして大学の授業は大体が20人以下の少人数制。うーむ。困った。

<以下次号>