昭和47年4月。埼玉県浦和市立別所小学校3年2組第1回学級会では、学校生活における最重要遵守事項が満場一致で採択された。
「ひとにめいわくをかけないようにしよう」
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犬を連れた 50男。私の 3M 真下で他人の居宅の汚損に励んでいるこの男に、私は努めて優しく語りかけた。
「すみません」
男はすばやくまわりを見回した後、ゆっくりと上を向いた。ベランダに、右手を軽く挙げ、顔に満面 の笑みをたたえている男が見えたはずだ。
私には妙なクセがある。腹が立てば腹が立つほど言葉が丁寧になる、というクセだ。激怒しながら極端な丁寧語を使う男。目を怒りで燃やしながら、口の筋肉だけで笑う男。... ... 相当に不気味らしい。別所小学校でも「せんせい、おおにしくんが、ていねい語をつかっています。かなりこわいです」と訴えられたことが1度ならずある。教授会でも私が手を挙げて丁寧語を連発し始めると、隣のO教授は頭を抱える。
「すみません... ... お散歩の途中大変失礼かと思ったのですが、そういったことを気軽にされると、私どもと致しましては大変な迷惑なのです。すぐにやめさせていただけませんでしょうか」
ギョッとした顔でこちらを見ていた男は、「ごぶんなさい」とかモゴモゴ言って、まだ小便途中の犬のクビを引っ張って逃げようとする。犬も災難だ。
「待ちなさい。まだ話は終わっていません。また『ごめんなさい』と謝っていただくだけでも困ります。あなたには、飼い犬の不始末の責任をとっていただきます。この家の反対側に水道とバケツと束子がありますから、掃除をしていただけますか。小便の不始末ですからまさに『尻拭い』というわけですね。はっはっは」
「そ、それは勘弁してくにゃさい」 まーだモゴモゴ言ってる。
実は「尻拭い」ギャグをきめた時点で、私の怒りは収まっていた。もう行かせてやってもいいかなとは思ったが、二度と同じ事をされてはかなわない。ちょっとお灸を据えてやろうと思い、
「そうですか。ご自分の明らかな不始末の責任を取らず、私に尻拭いをさせようという御積りなのですね。わかりました。それでは大変不本意ではありますが、これからあなたのところに降りていきます。しかる後司直の判断を仰ぐことにしましょう。立ち小便は軽犯罪になることをご存知ですね」
ちょっと迫力不足だなぁと思い、言葉を付け足した。ピッチを落とした声で
「いいか、逃げんなよ。1ミリも動くんじゃねーぜ」 かっこいい。故深作欣二も泣いて喜んでいるだろう。
もちろん階段はゆっくり降りた。もちろん靴もゆっくり履いた。口笛を吹きながらガレージまで行くと、男はもう100M 前方を脱兎のごとく走っていた。「待ていっ」と言うと、くるっと振り返り大声で
「ごめんなさーい。ごーめーんなさーい」
その後彼の姿を見た者はいない。考えてみれば可哀想な奴だ。浦和市立別 所小学校に通ってばよかったのに。