「子をもって初めてわかる親心」なんて言葉があったような気がするが、眞実が生まれて6ヶ月。こんなに子育てが大変なんて、知らなかったよ、ああシラナカッタ。
とにかくなく。朝から晩までなく。とことん泣く。容赦なく泣く。声の限りに泣く。
ミルクがほしい
おむつを替えろ
ダッコしろ
風呂に入れろ
散歩に連れてけ
隣の奥さん変な顔..............と言っては泣く。
「へえへえ」とか言って泣く。
苦労して育てたかいがあって、最近自力で移動ができるようになった。俗に「はいはい」というやつである。足がまだ伴わないので「はいはい」というよりも匍匐前進に近い。ズルズル動く。これがクセモノなのだ。豪華リビングの中央において便所に行く。帰ってくるといない。青ざめて探すと、テーブルの脚を舐めている。高価リビング3点セットの中央に......、とまあ、目が離せない。
しかし、真の問題は移動ではない。問題は移動の際必ず痕跡を残すことである。移動終点と起点を結ぶ最短の直線上に2カ所、今しがたあげたばかりのミルクが水たまりになっているのである。これをNoam Chomsky は痕跡理論と呼んだ、というのは嘘である。この水たまり、眞実のお気に入りで一心不乱に掻き回す。飽きもせずベタベタ掻き回す。結果 我が家に帰るとそこら中からミルクのにおいがそこはかとなくすることになる。とくにミルク臭いのは電気系統である。生えかけの歯がかゆいのか、栄養がたりないのか、それとも何か私に恨みでもあるのか、ビデオのコントローラからアンテナ線まで、とにかく、ねぶる。ねぶりたおす。電気に唾液である。中学から電気関係に弱かった私は「感電死するんじゃなかろうか」と居ても立ってもいられなくなる。親バカの始まりである。
「大西さんとこ、早いわねぇ、もうハイハイだなんて」隣の奥さんが言う。
何かこう胸を突き上げられるようなうれしさがある。
「大西さんとこ、頭が大きくて賢そうだわねぇ」
頭が大きいという事態は娘である以上本来憂うべき事態であり、その事実への言及は、また、端的に言えば悪口なのだろうが、親バカの私は気がつかない。
「ええ、本当に賢いんですよ。まぁ、今に見ててご覧なさい。この子の叡智が地球を救う日がきっとくるから」
向かいの奥さん、「ええ、ま、まあ」とか、ごにょごにょ言って逃げるように立ち去る。
「クラスで一番賢い子は誰でちゅかー」
「はいっ」 いやがる眞実の右手を無理矢理あげる。
「クラスで一番かわいい子は誰でちゅかー」
「はいっ」 今度は左手をあげる。
来るべき日のしかるべき質問への準備運動である。きっと妻はアホだと思っているにちがいない。私もそう思う。しかし、ことほどさように親バカ道は奥が深いのである。
こどもが生まれて一番の内的変化は、私にもとうの昔に忘れてしまったはずの責任感が蘇ってきたことである。最近よく見る夢がある。 学長室に呼ばれると、いつになく学長が険しい顔をしている。(どうしたんだろう)と思っていると、
「おまえはくびだ」
怖い夢である。アセッて飛び起きるとグッショリと寝汗をかいている。断言しておくがクビになりそうな悪事には一切荷担していない。人も殺してないし、万引きもしていない。キセルもしないし、イビキは...かく。これはきっと無職になって子供を養っていけなくなることへの恐れなのである。
私は無責任な男だ。第3次世界大戦が起きようが、地球温暖化だろうが、オゾンだろうが、核爆弾だろうが、アンゴロモアの大王だろうが、まったく念頭にない。自分が生きている間だけ地球がもってくれればそれでいいのだ、ぐらいにしか思っていない。いや、正確に言うと、思っていなかった。でも今は違う。できれば自分が死んでから40年ぐらいはもってくれないかなぁ、と願っている。本当にせつに願っている。
「へえへえ」 眞実が泣き始めた。おなかが空いたらしい。
近い将来この子を有名私立幼稚園に入学させなければならない。こんな金にならない日記を書いている暇はないのである。そろそろ寝よう。